『青空のかけら』(S・E・デェラント著、杉田七重訳、すずき出版)

――季節里親体験から委託先が見つかるまで

日本には、正式な制度ではないが季節里親週末里親という仕組みがある。児童養護施設で暮らしていて長期に親元に帰ることができない子どもに対して、家庭生活短期間ではあれ体験してもらおうという趣旨でのもの。そうした子どもとの交流が、里親への委託、養子縁組につながることもあるが、もともと家庭生活体験させるものなので、そうした期待はしないでほしいと児童相談所児童養護施設職員からあらかじめ言われることが多い。しかし、一時的に受け入れて、これからも一緒に生活ができそうだったら里親委託、養子縁組ができればいいのに、と考えるがそうした事例は少ない。

『青空のかけら』は、だれからも愛されないちっぽけな少女ミラクルが主人公。身寄りのない子どもの名前がミラクル(奇跡)とは大げさでうそっぽいと本人は思っていて、みんなは略してミラと呼んでいる。弟はザッカリだがいつも落ち着きがなく走ってばかりいて、ザックと呼ばれている。二人はスキリー・ハウスという100年も続く児童養護施設で暮らしている。

アニタというソーシャルワーカー運転する車でスキリー・ハウスにやってきた。これから世話を担当する職員のホーテンスに、院長のミセス・クランクスを紹介されるが、あまりいい感じはしない。歩くと音のする階段を上って、最上階の部屋に案内される。

ところで弟のザックはほかの人が好きではなく、ミラだけを信じている。いろいろな家を短期間のうちに転々としてきた。落ち着きがなくいつも動き回ってばかりいるザックのせいなのかも知れない。

お化けを怖がっているザックだが、ある夜、外の風の音で目が覚める。庭の大木が嵐で倒される。朝になると横倒しの大木があり、木や船やいかだと呼んで子どもたちは遊ぶ。

そうこうして1年半近くが過ぎた。みんなは里親が見つかったり養子になったり家に帰ったりして、二人以外ではジミーという少年がまだ施設にいるだけだ。ジミーが怒りっぽい性格で、嬉しい時も怒っているのがその理由だろうとミラは思っている。そして、自分たちにもなかなか家族ができない。ソーシャルワーカーアニタは新聞広告を出してくれたりして頑張っている。ミラは10歳半、ザックは9歳になっている。

ここで読者はおやっと思うに違いない。里親や養親を探すのに新聞広告を出すというのだ。この小説はイギリスが舞台になっていて、施設と言っても小規模、1年半も暮らしている子どもは数えるほど。積極的に家庭養育を勧めていて、そのために新聞広告も出すのだ。

ある日、ミラはベッドわきの床板のずれたところから1通の手紙を発見する。封筒を開いてみると、グレンダ・ヒヤシンス(年齢は11歳)からの手紙で、後にこの部屋で暮らす子どもに当てた手紙だった。そこでミラはこの手紙に返事を書いて、グレンダの手紙と一緒に床板の下に入れた。ミラは新しい友達ができたようで嬉しかった。

二人はよその家でお泊りをすることになった。「都会の子ども、田舎の子ども」と言う企画によるもので、期間は1週間。それがすめば送り返される。その話を院長のミセス・クランクスから聞いてミラはびっくりする。初めてのことなのだ。ミス・フリーマンという婦人が受け入れてくれる。

院長に同行されて列車で出かける。ザックは落ち着きがない。ホームに降り立つとミス・フリーマンが出迎える。ミス・フリーマンはマーサと呼んでちょうだいと言う。ミラが見るところ「おばあちゃんと女の子がまじっているような感じの人で、顔はしわだらけでも、目はきらきら光っている」「この人には、ほかのおとなにはない性質があるのに、わたしは気づいた。はずかしがってる! はずかしがるおとななんてはじめて」。ミラはこんな風に思う。「おとなはおとなの仕事をいっぱいしなくちゃなかないから、はずかしがってなんかいられないんだ」、と。そう、児童養護施設では仕事をしている大人しか見ることはない。

マーサの暮らすウェルズベリーはロンドンと違って通りに木が生えていて<人頭税反対>と書いた看板も一つだけ。サイレンも鳴らず交通渋滞もない。この<人頭税反対>のデモが後半の展開の伏せんになっている。

マーサの家の玄関には「アップルトン・ハウス」と書かれている。ミラは、建物に名前があるのは児童養護施設か刑務所だけかと思っていた。作者の皮肉が込められているような記述だ。マーサの話では昔ここにリンゴの木が植わっていて、それでこんな名前を付けた、と言うこと。風格の感じられる家で大勢暮らしているのだと思うが、住んでいるのはマーサ一人だけ。居間は世界一すてきだった、とミラは思う。揺り椅子があって暖炉があって、床から天井まで書棚がずらり。植物や絵画がある。「どれもこれもくたびれた感じがするのに、スキリー・ハウスよりずっとすてきに見えるのは、マーサが愛しているからだろう。スキリー・ハウスの部屋はだれからも愛されたことがないように見える」。これも作者の皮肉か。

ザックは部屋など観察していなくて、庭を見ている。芝生が広がっていて、突き当りに小川がある。庭に出たザックは小川に飛び込み泥にまみれる。着替えてダイニングルームに行く。まるでレストランにいるようだとミラは思う。ご馳走が並び「招かれた人がほんのわずかで、だれかがケーキを持ってくるのを忘れたバースデーパーティーみたい」。そして「まるで存在すら知らない星についちゃったみたい」。

翌日になると、昼食に食べる卵を買いに行くために三人は少し離れた農場に行く。ニワトリがいっぱいいて、卵は自分で集める。いろいろなところに卵はあって、マーサはお皿にお金を置く。お金を「ほかの人が持ってっちゃったら、どうするの?」とミラが聞くと、「だれがそんなことをするの?」とマーサ。帰って調理をする。「生みたての卵を食べるのははじめてだった」。こうして施設では味わえない体験を山のようにする。だが、ザックは木の枝を折ってしまったり花の上に転んで茎を折ってしまったり、あげく揺り椅子を壊してしまう。さらにクッションも破いてしまう。ミラはすぐにも送り返されてしまうと気が気ではない。自分たちの居場所は施設しかないのか、と思う。

翌日は気をつけて何にも触れないようにして過ごす。夕刻になってマーサが不思議なことを言う。「私に、もう少しがまんしてくれると、うれしいのだけれど」。「わたしには子どもがいないの。機会を逸してしまったのね。それで、自分のやり方を通してしまうところがあるの。だからあなたたちふたりに教わりたいの」。ミラは何を言っているのか分からないが、とりあえずは送り返されることはなさそうだと思う。

ザックを家に残してミラとマーサは庭で絵を描いている。ザックの叫び声が聞こえる。砂糖つぼが粉々になっていた。ミラはザックを叱る。マーサはミラにこう言う。「あなたはザックのことを心配し過ぎよ。ときには自分のことを心配すべきじゃないかしら」そして「自分よりザックの心配をする方が楽なんでしょうね」「あなたの望みはなに?」。ほんとうは自分のザックをほしいと言ってくれるのを望んでいるが、そんなことは言えない。

スキリー・ハウスに帰る日が来た。もう二度と来ることはないと思うとミラは「悲しすぎてしゃべれない」。ザックはお土産にする卵を大切に抱えている。スキリー・ハウスに帰ってくるが卵は一個も割れていなかった。「お泊り旅行がやっかいなのは、それを体験したあとでは、ぱっとしない毎日が、なおさらぱっとしなくなってしまうことだ」とミラはマーサと暮らした時間を振り返る。

こうした境遇にある子どもを迎え入れて一時期楽しい思いをさせる。しかし続かないことならこれほど残酷なことはない。季節里親週末里親をやって気持ちのいい思いをしている大人達も、実は大きな落胆を子どもたちに与えていることになるのだろう。

マーサから絵はがきが届く。ニワトリの絵が描いてある。そして二人がいないと「家のなかは活気がなく、卵を集めるのも、ひとりでは楽しくない」とある。ザックは「またあそこにもどれると思う?」と聞くが、今度は別の子どもたちで、順番が回ってくるのは数年先だろうと思う。

半年が過ぎて、もうすぐ新年を迎えようという時、マーサから招待状が届く。それも、今度は「都会の子ども、田舎の子ども」のプロジェクトではなく、マーサが自分でそうしたいからだという。

クリスマスというのは、身寄りのない子どもを悲しくさせる。自分たちには家族がなくほかの子どもたちにはあることを思いださせるから。広告はそろって完璧な家族像を前面に」だす。施設職員のホーテンスは、ああいうのは全部役者がやっているので本物ではない、と言う。でもミラは悲しくない。家族を経験したことがないから。ホーテンスは言う。「ティーンエイジャーは、ほかのだれよりも家庭を必要としているのに、こまったことに、その年頃の子どもが一番扱いにくいんだよね」。

マーサの家に行く日が来た。家に着いてマーサが玄関のドアを開けると子犬が一匹飛び出してきてミラとザックの顔中をなめる。二人は歓声を上げる。ダッシュと言う名で、落ち着きがないためマーサはくたくただという。

「はじめてマーサの家にやってきたとき、わたしたちがめちゃくちゃにした以上に、ダッシュは家のなかや庭をひっかきまわした」。そして大晦日がやってくる。ミラはマーサに習って抽象画を描いてマーサへのプレゼントにする。スキリー・ハウス用にもう一枚描かないとね、ということでまたイースターに来ることになる。

スキリー・ハウスでの暮らしでは、友だちになった子どもたちとの別れなど、さまざまなことが起こる。そして、ある日テレビを見ていたら「人頭税反対」のニュースのなかにザックに似ている女性がプラカードをもって映っていた。よく見ればミラにも似ている。「ぼくらのママだ」とザック。これが事件の始まりである。

さて、再び二人はマーサの家に行く。これで3度目だ。暖炉の上にはミラが描いた絵やダッシュとともに写った写真が飾られている。しかし、ダッシュはもう小さな犬ではなくなっていた。三人と一匹は市場に行く。広場では長距離バスがとまっていて乗る人が並んでいる。ロンドン人頭税反対のデモがあるのだ。ザックとダッシュは何度もはぐれるがダッシュの吠える声でいることが分かった。

買い物をしているとバス二台が出発し、ザックとダッシュもいない。残ったバスに行ってみるとおじいさんが「おや、弟さんなら別のバスにのったよ」という。ザックはママに会いたいと思ったのだ。ミラとマーサは後発のバスに乗って、先のバスを追いかける。ロンドンが近くなるとデモのせいで交通渋滞になっている。先のバスにも出会えない。二人は地下鉄に乗り換えてデモが行われている広場に向かう。ミラの直感でザックを見つける。ダッシュを膝の上に載せて階段にすわっていた。ダッシュは人ごみのなかで踏まれたのか死んでいた。

場面はスキリー・ハウス。ロンドンだからタクシーで行ける距離だ。マーサは帰って行った。もう二度と会うことはないだろうとミラは思う。マーサから電話がかかってきてミラはあやまる。マーサもあやまる。ダッシュは庭に埋められたという。「あなたたちがもどってきたら、花をそえてあげて」とマーサが言うので「わたしたち、もどれるの?」とミラ。そうしてマーサの家に行く。「ダッシュのいないマーサの家はつらかった」。マーサはザックの肩に手をおいて、「もう自分を許してあげて」「でないと、わたしも自分を許せない。もっとしっかりあなたのめんどうを見てるべきだったのよ」。ザックの前にひざをついて「あなたがあの子(ダッシュ)を愛しているのを知っていたから、わたしはあなたに託したの。あなたを信頼したのは正しかった。これからもわたしはあなたを信頼する」。

ミラとザックにマーサは「あなたたちに、ここにいると約束してほしいの」「夢を追いかけて、ロンドンに行ってしまうなんてしないで」。こうして二人はマーサと家族になった。

スキリー・ハウスで暮らすのもあと一週間。院長のミセス・クランクスにあいさつし、彼女のサインを見てミラは驚く。その書体はミラの床の下にあった手紙と同じだった。ミラの書いた手紙とともにミセス・クランクスに渡す。

それから25年後、ミラはアップルトン・ハウスでの生活を振り返る。マーサは別の犬を飼い、いつもミラを励ましてくれた。今はロンドンに戻ってイラストレーターの仕事をしている。ザックは教師になって結婚をした。スキリー・ハウスは売却され建物が撤収されて跡地にマンションが建つという。当時一緒に暮らした子どもたちの消息も聞いた。それぞれ結婚して子どもがいたりする。ミラはザックたち夫婦を幼い娘二人を見ながら、これは「まさに小さな奇跡だと思う」。(木ノ内)


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