『秘密の花園』(フランシス・ホジソン・バーネット著、畔柳和代訳、新潮文庫)

――里親家庭に来る子どもと里親家庭の回復の物語として読む

人間の営みの最も基本的な場所である暮らしの中に子どもを迎え入れて生活を共にするのが里親である。里親家庭にはさまざまな事情をもった子どもがやってくる。暮らしの営みのなかで、子どもたちは回復の力をつけて、やがて肉体的にも精神的にも力強く成長を始める。その子どもの回復の力が、里親家庭のなかにあった課題にも影響を及ぼし、回復や解決をみせることがある。だから、里親家庭はダイナミックな回復の場であるということができる。

『秘密の花園』は里親家庭を描いたものではないが、そうしたダイナミズムを感じさせる小説である。主人公の子ども(メアリ)が自分の回復と成長だけでなく、場の回復に向かっていく、そうしたアクティブな小説なので、里親家庭の回復の物語として読んでも参考になる。

まず、メアリ・ノレックスという主人公の女の子が紹介される。「こんなに感じの悪い少女は見たことがないと誰もが思った」と1行目に書かれている。インド生まれで病気がち。父親はイギリスのインド政庁で働いているというが、この小説全体で父親のことが出てくるのはここだけ。「母親はたいそう美人で、パーティに出かけて愉快な人々に会って楽しむことばかりに熱心だった。娘がほしいなどと思ったことは一度もなく、メアリを産むと、世話をしてくれる乳母に預けたきりになった」。乳母やインドの召使たちはメアリのいいなりで好き放題にさせていたので「メアリは6歳にしてよそのどんな子どもよりも暴君じみたわがままな子となった」。

9歳の頃、異変が起きる。朝、目覚めても、いつもの乳母がやってこない。ペストに罹って乳母は息を引き取ったのだ。やがて両親もペストで亡くなる。「人々はあわてふためいて、誰からも好かれない少女のことなど誰一人、思い浮かべなかった」。

家中が静かになって、「何かが粗い織物の上でかさこそいう音がした。下を見ると小さな蛇がするするとすべりながら宝石のような目でこちらを見ていた」。蛇との見つめ合い。この小説では生き物との出会いが重要な役割を持つので、小さなエピソードだが見逃せない。温かさを感じさせない動物との出会いが、その後どう変化していくのか。それはメアリ自身の変化でもあるので。

一人でいるところを発見されたメアリがイギリス人聖職者の家に行くが、ここに住むわけではないことをメアリは知っている。年の近い5人の子どもたちが口げんかやおもちゃをひったくったりしている。児童相談所の一時保護所のイメージだろう。バジルという子どもがメアリにあだ名をつけて歌う。「偏屈者のメアリさま、あなたのお庭はどんなふう?」。この小説が『秘密の花園』だと知って読んでいる私たちにとって、「お庭はどんなふう?」におやっとさせられる。庭の持つ意味はなんだろう、と。「偏屈者のメアリさま」の「偏屈」も小説初めの方のキーワードである。

“一時保護所”で、船に乗ってイギリスのおじさんのところに行くことを知らされる。他の子どもが大人から盗み聞きしたところでは、その家は「立派で広いのにひどく荒れている古い家で、田舎にあって誰もそばに行かない」「おじさんはいつもすごく機嫌が悪くて、人をそばに寄せつけない。でも、来ていいっていわれたって誰も行かないだろうよ。せむしで、ひどい人だから」。

邸から迎えに来た家政婦(ミセス・メドロック)もこう言う。「立派で広いお邸なんですけど、陰気でねえ」「築600年でムーア(荒地)の端にあるんです。部屋は百室近くあるけれど、ほとんどは締め切りで鍵がかかっている。絵や立派な家具、代々伝わる品もあって、敷地は広くて、庭がいくつもある。木もたくさん生えているし、地面まで枝が垂れているのもある」。こんな場所だけどどう思う、とメドロックに聞かれてメアリは「別に」と答える。それに対して「まあ! まるでおばあさんですねえ」と言われる。感情の発露のうすい子どもなのだ。

心配するといった感情の動きがないメアリ。保護されて里親のもとに来る子どもたちにも多い反応だろう。ここで語られる新しい住まいのことはそのまま受け取らなくてもいいと思う。往々にして家庭というものは独特の文化と伝統を持っているし、里親家庭も例外ではない。人間の営みである以上なんの問題もない家庭というのも珍しいだろう。里親家庭に来る子どもたちは否応なくそうしたものを丸ごと引き受けなければならない。

家政婦から、そのおじさん(邸の主、ミスタ・アーチボルト・クレイヴン)には奥さんがいることを知らされるが、すでに奥さんは亡くなっているという。だから「話し相手がいるだろうなんて期待しないこと。一人で遊んで、自分の面倒は自分で見るんですよ」。

どういうわけかインドからイギリスまでの船旅については触れられていない。迎えに来た家政婦、メドロックとの列車と馬車の旅が語られる。厳しい自然のムーアの景色などが紹介され、邸に着く。メアリは「それまでの人生で一番偏屈な気持ちだと言ってよかった」。感情として抱くのは「偏屈」なのだ。先にも触れたが、小説のはじめの方には「偏屈」という言葉が何度も出てくる。「偏屈」とは“素直でないこと、ひねくれていること”と辞書にある。

着いた翌日、目を覚ますと、新しい若い女中のマーサが暖炉の火熾しをしている。火を熾しているという第1日目の朝と言うのが印象的だ。温かさに触れる。しかもそこにいる女中マーサはヨークシャ出身で方言丸出し。ムーア(荒地)が大嫌いだというメアリにマーサは「なんにもないことはねえ。いろんなものが生えてて、いいにおいがします。春と夏ァきれいですよ」。インドでは、現地の召使たちはこびへつらい、ぺこぺこするが、雇い主と同等に話すマーサに驚く。しかし生意気さは感じない。それでもメアリは寝たまま「変な召使」と高飛車にいう。インドでは着替えも召使がしてくれたが、マーサに頼むと、目を瞠って「ふくきらんねえのか!」とあきれ顔。「メアリは憤慨した。この娘の素朴なまなざしを前にして自分の無力をつくづくと覚え、なぜかひどい孤立感に襲われていた」。偏屈な少女は、ここでは「憤慨」している。メアリのもつ感情はこうしたものなのである。

メアリはマーサの自由な振る舞いに驚く。マーサは、家には12人の子どもがいて貧しいが、子どもたちはムーアで転げまわって遊んでいる。特に12歳のディコンはムーアの動物たちと交流がある、と話す。ディコンは小説の中盤から重要な役割を果たす登場人物である。

マーサは「庭」の話をする。少しためらったように見えたが「鍵がかかっている庭があります。十年間、人が入っていません」。メアリは10歳。生まれてからの時間と閉ざされた庭の時間は同じだ。これはなにを意味するのだろう。まるでメアリの心の中の秘密の庭のようだ。

閉ざされた庭は主人が閉めさせた。「奥さまが急に亡くなってから誰も中に入らせません。奥さまの庭でした。だんなさまは鍵をかけて穴を掘って、鍵を埋めました」とマーサ。

メアリは庭を散歩しながら、閉ざされた庭のことを思う。庭で作業をしていた老人と出会う。メアリに出会って老人は驚いた顔をしたが「年老いた不機嫌そうな顔はメアリに会ってもちっともうれしそうではなかった」。「かなり偏屈」な表情を浮かべていたとある。先にメアリは偏屈な気持ちだったとあるから、この老人はメアリと同類なのかも知れない。

果樹園に入っていって、一羽の鳥に出会う。人懐っこい鳥で、木の一番高い枝に止まって、メアリに呼びかけるように歌う。このさえずりに心が和むが、「広くて閉ざされた邸、広大で荒涼としたムーア、広くて何もない庭園のために、この感じの悪い少女は、この世に一人で残されている気がした。もしもメアリが愛情深い子どもで、それまで大事にされていたら、この時点で心がずたずたになっていただろう」。それでも偏屈者のメアリでさえ孤独を感じていた。

こうした環境だからメアリは生きていられた、とある。『秘密の花園』は回復の物語だといったが、恵まれた環境が回復させるのではなくて、似合った環境が必要だったということだろうか。さらに偏屈だったメアリでさえ孤独を感じたとある。メアリの偏屈や憤慨は孤独を感じる以前の感情だったことが分かる。また、身を守るものとして偏屈さは必要だったのかも知れない、ということも。

ところで同類と思われた老人だが、見かけた駒鳥の話をメアリがすると老人は日焼けした不愛想な顔の表情が変わった。ゆっくりと笑みが広がっていき、別人に見えたという。同じ人でもほほえむといい人に見えるのはとても不思議だとメアリは思う。で、そう思ったのはメアリにとって初めてだった、とも。駒鳥によって人の柔らかな感情に気づきつつあるメアリ。

メアリは駒鳥に見られ自分が駒鳥を見たときに、自分がさびしいことに気がついた。自分のこれまでを老人に話すと「わしらはかなり似とる」「わしらはもとはおんなし一枚の布だろうな。器量よしじゃないし、顔並みに中身もとげとげしい。かんしゃく持ちってのもおんなしだな」。駒鳥を仲立ちにして老人とメアリは気持ちの交流が出来るようになる。思いを耕すことができるようになってきた。

そうしているうちに、メアリは朝食をとるが、残したりしないで「おいしい」と食べ、自分でも驚く。しかし「遊ぶものがない」と嘆く。それにマーサは驚く。「うちの子たちは棒っきれや石で遊びます」と。そして、口止めされている鍵のかかった庭についてメアリに語りだす。「結婚してすぐ作ったんですよ。奥さまのお気に入りで、二人で花の世話ァしてたんです。園長には入らせなかった。二人で閉じこもって何時間も本を読んだり、話したり、ミセス・クレイヴンはほんの娘さんでした。あの庭に、枝が曲がって座れるようになっている古い木があって、奥さまァそこにバラがかぶさって生えるようにして、よく座ってた。だけどある日座ってたら枝が折れて、落っこちて大けがして、次の日に亡くなったんです。だんなさまも頭がおかしくなって死ぬんじゃないかってお医者さんたちァ思ったんです」と話す。

この家の事情が分かってくるなか、新たな謎が浮かび上がる。誰かが泣いているのが時々聞こえる。それも外ではなくて、家の中から。しかしマーサは風の音でしょうと言い張る。家の中は、心理的にはメアリの心の中なのかも知れない。偏屈だったメアリの心のなかで、自分の泣き声が聞こえる、ともとれる。

そして百近くもある部屋の探検を始める。廊下の壁に絵がかかっている。「暗い不思議な風景画もあったが、たいていは肖像画で、大人の男女がサテンやビロードの奇妙で立派な服をまとっている」「これほど多くの肖像画が一軒の家に収まるなんて、メアリは考えたこともなかった。この廊下をゆっくり歩きながら絵の中の顔を見つめていると、あちらから見られているようでもあった」。家の伝統に出会っているようでもあるしメアリの心の中を探検しているようでもある。

試しに扉の取っ手をまわしてみると開く部屋もあった。次々に開けて行くと「おびえた目がふたつ、こっちを見ていた」。クッションをかじって穴を開け、居心地のよい巣を作ったねずみである。そばに赤ちゃんねずみが6匹丸くなって眠っていた。無意識の深いところで眠っている命の原型のようなものとの出会いである。“おびえた目”とは、心の奥の自分でも気づかなかった部分なのかも知れない。

自分の部屋に帰ろうとして廊下で迷っているうち静寂が破られて、「いらただしげな子どもっぽい泣き声」が壁の向こうから聞こえてきた。メイドに見つかったメアリは泣き声が聞こえたというが、そんな音は聞いていない、早く自分の部屋に戻りなさいと言われる。

家に伝わる秘密、あるいはメアリの心の奥底の声との出会いは、きわめて緊張感のある体験である。メアリの感情がほぐれてきたなかで新たな課題が起こりつつある。新しい課題は突然降ってくるのではなく、このようにして準備されて起こるのだろう。

やがて、春の兆しのある美しいムーアをメアリは感じる。そしてマーサの話す家族のことに好意を感じるメアリがいる。自分のことをどう感じるかを自覚し始める。ディコン(マーサの弟)がお嬢さんをどう思うでしょうというマーサの質問に「気に入らないわよ」「誰も私を好きじゃないから」と答える。そういうメアリにマーサは「じゃあ、自分ではどうです?」と再度質問する。「そんなこと、考えたことなかった」とメアリはいう。マーサはこんな話をする。「母さんに一度言われたんです。母さんは洗濯をしていて、あたしがすごく不機嫌で人の善し悪しをいっていたら、振り返って、『ああ、意地悪娘が! んなとこに突っ立って、あの人ァ好きじゃない、この人ァ好きじゃないとか。自分のことァどんぐらい好きなの?』それであたし、笑っちゃって、すぐに我に返りました」。

休暇をとったマーサが、5マイルほど離れた我が家に帰って、その間メアリはさびしさが募って、噴水を囲む花壇のまわりを十周走ることにした。走り終えるとだいぶ機嫌が直っていた。メアリは運動によって気分を変えることができることを学んだ。

不機嫌だった老人(ベン)が向こうから話しかけてきた。「春が来るぞ。においがせんか?」。そして「ものォ生やす準備をしててご機嫌なのさ。ものを植える時期が来ると土ァ喜ぶ。冬ァ退屈なんだ、やることがなくて。あっちの花が咲く庭では、下の暗いとこでいろんなものが動いている。太陽があっためてる。もう少しすりゃ、とんがった緑が少しずつ黒い土から出てくるのが見える」。

春は季節として自然界にやってくるが、人の心にもやってくる。命が活動を開始する。そうしたメアリが歩いていると駒鳥がついてくる。駒鳥はメアリを覚えていて、そのことがメアリの気持ちを明るくする。「メアリは幸せすぎて息もできないくらいだった」。駒鳥の導きで、メアリは古い鍵を見つける。

メアリはまだ扉を見つけてはいないが、庭で一人だけの遊びをつくって一人だけで楽しめるようになる。自分の居場所をみんなが知らない、そう思うと「たいそう満足した」という。メアリだけの世界が作られつつある。

帰ってきたマーサが縄跳びの紐を持ってきた。マーサのお母さんが買ってくれたものだが、メアリには何に使うものか分からない。教えてもらって「面白そう」と思う。メアリは「ありがとう」と硬い口調で言う。「お礼をいうことにも人がしてくれた親切に思い至ることにも慣れていなかった」。縄跳びをしていると、駒鳥があらわれる。風が吹いてきて、葉に隠れていた丸い持ち手を発見する。駒鳥がけっこう重要な役目を担っている。

鍵を使って扉をあける。静かで神秘的な庭に入る。木々は枯れたように見えるが「とがった小さな淡い緑の先っぽ」が黒い土から出ている。「身をかがめて近づき、湿った大地の新鮮な香りをかいだ、いいにおいだった」。

お昼に戻ったメアリはよく食べた。マーサに、秘密の庭のことは触れずに、庭に生えていた白い根っこは何? と聞くと球根だという。「球根から生える春の花は多いんですよ」と花の種類を教えてくれる。メアリは「球根って長生き? 誰も助けなくても何年も生き延びる?」。こうして、少しずつ庭仕事に関心を深めていくが、一方で時々家のなかで泣き声が聞こえる。しかもそれが何なのかマーサに聞こうとするとマーサは逃げる。「こんな変な家はないわ」とメアリはつぶやく。

メアリは土を掘り、草を抜く。メアリは気づかないまま「暗い地下で球根は元気を出し、猛烈に働きだしていた」。偏屈なベンとも親しくなり、花の庭を作るための方法をいろいろと教えてもらう。あるとき、秘密の庭の近くに、木の笛を吹いている少年がいる。少年の周りではリスやうさぎ、キジが笛の音を聞いている。マーサのきょうだいのディコンだ。ディコンに誰もいかない庭のことを相談する。「ここが生き返ってほしいと思っているのは世界で私一人よ」。そしてディコンに秘密の花園を案内する。

旅に出ていたこの邸の主、ミスタ・クレイヴィンが一時帰ってきて、メアリに会う。メアリは「地面を少しもらえませんか?」と邸の主にお願いをする。いぶかるクレイヴィンに「種を植えて――ものをはやして――元気に育つのを見るの」と答える。クレイヴィンは許可をし「おかげで土が大好きだった人を思い出したよ」と答える。

夜中に今度ははっきりと泣き声が聞こえ、メアリは「何の音か、突き止めよう」と廊下を歩き、広い部屋のベッドでいらだたしく泣いている少年を見つける。少年の名はコリン。病気がちだと自分では思っていて、大人になるまで生きられないと信じている。実は往診する医者は「お父さんのいとこで、貧乏なの。ぼくが死んだら、その人がお父さんの遺産として」この邸を全部つぐことになっている。だからコリンに生きていてほしくないようなのだ。

メアリはコリンにいろいろな話をして、コリンも少しずつ元気になっていく。ディコンのことも話す。メアリはディコンに、コリンを秘密の花園に連れて行ったらどうだろうと考える。もっと元気になるのではないか、と。ディコンは「医者の薬よりも効くって請け合うよ」と答える。

しかし、ことは簡単には進まない。メアリは秘密の庭の作業に熱心で、コリンに会う時間がない。するとコリンは寂しくて腹を立てる。そういうコリンにメアリは「出ていくわ。もう来ないから」と言い争いになる。以前のようにコリンはヒステリーとかんしゃくを起すようになる。「やめなさい! 大っ嫌い!」とメアリは大声を上げる。以前の自分を見ているような気持だったろう。こうした言い合いのなかで「自分で思っているほどの重病じゃないと、同情心がみじんもない憤怒した少女がかたくなに言い張るのを見て、この子のいうとおりではないかと思えてきた」、それで「一種の仲直りとなった」。雨降って地固まる、ということだろうか。「ディコンが椅子を押してくれたら、一緒にでかけたい」とコリンはいう。そこで秘密の庭の話を打ち明ける。

家の人たちには内緒で、コリン、メアリ、ディコンは秘密の庭にやってくる。長く生きられないと思い込んでいたコリンはいつまでも生きると確信を持つようになる。健康になった、というのではなく「いつまでも生きる」と。立って歩くことを始める。メアリはここがコリンのお母さんの庭だったことを打ち明ける。歩くことが困難と思えたコリンが二本の足で立った。努力によって元気に歩くことができるが、周りには知らせないようにしようと欺くのが一苦労。食欲も旺盛で、顔つきも逞しくなってきたからだ。

旅に出ていた邸の主ミスタ・クレイヴンは家に帰るべきではないか、と思い立つ。そして帰ってきてコリンに会おうとすると庭にいるといわれる。秘密の庭に近づくと子どもたちの元気な声が聞こえる。庭の木々は枯れることなく生命力に満ち溢れ、それは子どもたちも同じだ。召使たちはそれを見て驚く。

このことによって、この邸全体に活気が戻ってくる。メアリの成長がメアリだけにとどまらない回復の物語を紡ぎだす。(木ノ内)


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