『忘れられた日本人』(宮本常一著・岩波文庫)

86Pにこんなことが書いてあります。実母が里親と子どものマッチングをするお話です。  

――敬太郎の家もくらしがまずしうて、その母親が子をつれて来ましてな、方々の家へたのんであるいていて、とうとう私の家へおいてかえったのであります。たのむといいましても、まあ、その家へいって「今晩一ばんとめて下され」とたのみます。たのめば誰もことわるものはありません。台所のいろりばたへあげて、夕飯を出して、しばらくははなしをしているとそのうちにみなそれぞれのへやへ寝にはいる。敬太郎のおふくろと敬太郎はいろりのはたにねるわけです。敬太郎のおふくろはそれがかなしうてならぬ。この子は自分がかえってしまったら、こういうように1人でここにねさせられるかもわからん。そう思うと「よろしくたのみます」ということができん。それであくる朝になると「いろいろ、おせわになりました」といって出ていく。とめた方も別にこだわることもなく「あいそのない事で」といって送りだします。こうして家々へとまって見て、親が気に入らねば、子どもをあずけなくてもよいわけであります。敬太郎のおふくろも方々あるいて見たが、どこの家も気に入らなかったようであります。それでわたしの家へ来た。わたしの祖母にあたるモトというばァさんがいました。夕飯がすんで一きりはなしをして、みなへやへはいっていったが、モトばァさんが「かわいい子じゃのう、わしが抱いてねてやろう」というと、その子がすなおに抱かれてねました。おふくろはそれを見て涙を流して喜んで、この家なら子どもをおいていけると思うて「よろしくたのみます」と言ってかえったそうであります。それから敬太郎はモトばァさんに抱かれてねて大きくなりました。

また本書112Pにお遍路さんのことが書かれています。

――(女の人が年頃になると遍路に出かける)伊予の山のなかでは娘をもろうてくれんかと言われて――何をさせて使うてくれてもかまわん。食わして大きくしてくれさえしたらええと言うておりました。よっぽど暮らしに困っておりまっしろう。遍路のなかにも子どもの手をひいてあるいているのがたくさんおりました。たいがいはもらいっ子じゃったようであります。この方には昔は伊予からもらうて来た子どもがよけいおりましての。10人も20人もいたことがあります。(木ノ内)
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