月例会感想

■2009年11月 月例会参加者の自由な感想です
     テーマ  里親家庭と小学校との関わり
     助言者 里母さんと元小学校教諭

里母さんと小学校の先生のお話、感動しました。
 子どもにとって、行動的な里親さんと出会い、すばらしい担任の先生に受け持たれることができ、幸せだったと思います。これからの人生の歩みの中で、お2人との出会いが力強い励ましを与えてくれるでしょう。頑張れと私も声援します。
里母さんと学校の先生のお話を聞き、里親の大変さ、学校でのご苦労をうかがい、私などは足元にも及ばない…と、つくづく感じ、頭が下がる思いでした。里母さんが、お子さんに相談したら「好きにしたら…」と言われたとお話していましたが、とても実感できます。
学校においての他の保護者の理解について質問をさせていただいたのですが、なかなかむずかしい問題であると思います。どこまで本音が出ているか、実際のところを知りたいと思いました。
委託を受けた子どもの様子を伺っていると、その態度やしぐさは全く理解できないことではなく、子どもの頃の私とダブるところも多々感じました。共感できました。
里親制度は、まだまだ社会での理解やリスペクト(尊敬の念)が不足していると思います。まだまだ知らないと思います。里親月間等、身近なものとしても周知されるよう、社会的関心の喚起を図り、活動が正当な評価をもって、世の中に認められるまで、まだまだ時間がかかると思いますが、一歩一歩進んでいくことが重要だと思います。
60歳を超えている里親さんに短期養育ということでなく幼児が委託されたという話を聞いたことがあります。いろんな思いがあったと察します。ちょっと意味は違うかも知れませんが「なぜ山に登るのか?」と問われて「そこに山があるからだ」と答えたと言う登山家ジョージ・マロリーの名言を思い出していました。里母さんに「60歳を過ぎていて、なぜ小さい子供を預かることが出来たのですか」と質問したら、「そこに親を必要としている子供がいたからです」と答えられるような思いを勝手に想像していました。
私はまだこれからだ、ととても勇気付けられた思いがします。
委託された子どもについて児童相談所のケースワーカーがどの様に係わっていたのだろうと気になりました。2歳半の子どもを託す里親候補として、どういう理由で里母さんが選ばれ委託されるのか、児童相談所の意志を想像しました。
里母さんの”友達は神様です。”という発言に、子どもにとって家庭生活と学校・社会生活の中での居場所を作るべく苦労をされてきた、祈りの様な思いを感じました。里母さんと子どもにとって、先生との出会いが大きかったと思います。
先生の配慮で、いろんな場面で自信をつけてきたことを感じとれました。
子どもは、ドンマイスポーツチームでは、一生懸命がんばっていろんなチームから引っ張られる様になりました。
子どもは大人より遥かに感受性が強く、先生の一挙手一投足に影響を受けると思います。クラス全員が自己肯定感をもち、それぞれ成長していくという先生の運営方針が、良いところ発見カード、学級通信、家庭学習カードドンマイスポーツチーム、毎月の席替えなど、具体的な種々の方法を通じて浸透していく様子が伺えました。
校長先生をはじめ、学校職員側の受け入れ態勢の温かさ、特別支援員が配属される様になったこと等、発達障害を抱えた子どもに対する行政・学校側の体制も、整ってきていると思いました。
しかしそれは、里母さんが子どもの最善の利益のため出来うる限りの社会資源や地域の協力、支援を活用しようとする積極性、行動力があったからだと思います。 
里母さんは、困難があると積極的に外に出て勉強し、専門家に出会いを求め、子どものために行動してきたように思います。どんなにか大変な思いをなさったかと思いますが、問題を自分一人で抱え込まず、広く関わってきたということが素晴らしいと思います。また学校の先生との出会いもあり、学校での様子も把握しながらその成長を一緒に感じられたのだろうと思います。
集団の中での指導、その子どもと他の子どもへの指導、そして保護者の理解を求めることへの対応は大変だろうと思います。
手のかかる子がいなくなってくれればと集団は落ち着く、しかし排除するのではなく一緒に育てるというプロの教育者(小学校の先生)の手厚い見守り指導はすばらしいです。熱意と集団の中での指導力を持った先生はたくさんいるでしょうが、なかなかできないのが現状ではないかと思います。
先生の「悪いところは誰もが見えます。良いところは探さないと見えないことがあります。良いことが見えるように・・・」温かい言葉だなと思いました。
支援学級か、普通学級かという話がでましたが、基本的には、教育委員会の就学指導委員会で、専門の人(精神科医等によって構成された)の答申によってその子が何処で学ぶことが一番適当であるかを判断しています。今は保護者の希望が重要視されるようになってきていますが、保護者が本当にその子の成長と将来を見据えて判断しようとしているかは不安もあります。里親としてどの学校に通わせるか、その後の方針を一緒に考えてくれる支援体制を考えると単独の判断は難しいのだろうと思います。
子どもの成長を一緒に考え、一緒に歩んでいけるような、必死で頑張っている里親が孤立しないような支援が大切だろうと思います。
いつも思うことですが、今回も里母さんのパワーに頭が下がりました。
里親さんのご努力、そして小学校の先生や友達などとのラッキーなめぐり会いがあり、今があるんですね。
話し合いの中で、支援学級か、普通学級かという話が出ました。
実際、小さい子ども達のための療育施設か普通の幼稚園かというところで、施設や園の保育者の気持ちと親の気持ちが合わない時があります。
その幼稚園がどういう園かという問題もあり、また子どもが療育に行くほどではないけれど、普通の幼稚園では・・、という微妙なところだったり、本当に難しいと思います。また、大人たちも子どもの全てが見えているわけではないので難しいです。
幼稚園に入園する前の子ども達(今まで発達の遅れが見られ親子教室に通っていた子)が、幼稚園に行って集団生活で少しでも困らないようにと通園を始めたのですが、子ども達が、保育者の想像以上に待つことも、保育者の指示に従うことも出来て、保育者一同ビックリしたそうです。
こんなふうに、こちらで勝手に思っていた様子と現実の子どもの様子が違うことも往々にしてあるんですね。
 子どもの回りにいる大人たちが、柔軟な頭でこの子はこうだという決め付けをせず(思い込みを持たず)その時その時の子どもの様子を良く見て接していく事が大切だと思いました。社会的受け皿も同じ気持ちで、またそれを可能にしてくれるものであることを願います。

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